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Y. 先 生 [おくやみ]

s-DSCN0185.jpg8月 5日(金)[晴れ]

 自宅庭の芝生を刈りました。

 自己採点では60点程度の”お恥ずかしい”養生です。

 本日は、s-DSCN0186.jpg11:30amよりY.先生の告別式でした。

 いつもの軽トラで会場に行ったら駐車場係の方が指示する方へ・・・・。

 そこにはなんと「御導師様専用」の立て札が・・・・、軽トラの「御導師様」。

 Y.先生との出会いは、某農業高校でした。

 鮮烈に記憶している光景があります。

 朝の会議にて、管理職が「授業中に、教室に入って行くかもしれないから、了承してくれ!」との言に対して、

 職員室の一番後ろいた小柄なY.先生が毅然と、

 「何のためにそういうことをするのか?私たちにもプライドがある。突然、校長が入室してきたら、生徒達はどのように思うだろうか?」

 根性の無い若き時間講師の私は「そのとおり!」と叫ぶことも出来ずに、心の中でエールを送ったのでした。

 20年も前のことです。

 その後、某商業高校でご一緒させていただきました。

 退職されても現職と同様、「作文教育」に燃える熱血教師健在でした。

 私の“ゆるい”授業の隣の教室で、緊張感みなぎる授業をされていたY.先生の姿を忘れることができません。

 休み時間に、JK(=女子高生)に「じぃちゃん」と呼ばれて、怒り心頭だったというY.先生の姿が目に浮かびます。

 生徒に厳しいけれど、自らにも厳しかったY.先生。

 職員室では、若造の私に音楽談義、「リベル・タンゴ」の解釈では年齢差に関係なくお付き合いいただきました。懐かしい思い出です。

 海外旅行へ行かず、「私は、ビデオやDVDでいいのです」と言い、古書が手に入らないのだがどうしても欲しいから、ネットで探して欲しい、とのメモが私の事務所のポストに入っていたこともありました。

 それは、戦争資料の高価なものでした。

 Y.先生のような骨のある先生は、本当に少なくなってしまいました。

 私のどうしようもない“文章”指導をお願いします、と申し上げていたのに、お別れとなってしまいました。

 一見、地味で目立たないような先生のお仕事、しかしその作文教育の功績は語り継がれる尊い”教育実践”でした。

 管理職目前の”講師先生”の目を盗んで、携帯メールをするような「研修」はなくて、Y.先生とあらゆる事柄で相談をしたりご教示いただいたり、という時の積み重ねが教員を育てるのです。

 「教育」というのは、その人間関係の中に存在するものです。

 現在実施されている初任者研修などの「研修」は、なんと空虚なものか・・・・。

 Y.先生なら、なんとおっしゃったでしょうか。

 身内に医療関係者がおられるのに、入院を拒否して自宅での療養を頑固なまでになさっていたというのも先生らしいです。

 亡くなってから本当のお付き合いが出来るといいます。今後ともよろしくお願いいたします。

 ご冥福をお祈りいたします。 

 合 掌


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